独立系運用会社を設立した理由と3つの成長要因(前編)

大手金融機関傘下の子会社ばかりの日本の運用業界で、独立系運用会社のフロントランナーとして確固たる地位を築いてきたベイビュー・アセット・マネジメント。業界に一石を投じるべく野村證券を辞め、1998年に金融業界でたった一人で当社を立ち上げた創業者兼代表取締役社長の八木健に、会社設立を決意した理由を語ってもらいました。
起業のきっかけとなった
米国の金融ブティックハウスとの出会い
最先端の投資戦略に触れ
資産運用業界の日米の差を痛感
私が起業を考えるようになったきっかけは、米国ブティック(専門店)型金融機関のパイオニア、Robertson Stephens & Company(1978年設立。以下RS&Co)との出会いでした。1990年、ペンシルベニア大学ウォートン・スクールへのMBA留学を終え帰国し、野村證券で営業担当に復帰しはじめた頃のことです。
RS&Coはシリコンバレーの中心、サンフランシスコに本拠を置き、同社の運用部門RS Investments(以下、「RSIM」)では、テクノロジー、ヘルスケア、コンシューマー等の成長産業において、これまでにない新しい技術やサービスで社会に変化をもたらす革新的なベンチャー企業へ投資する「イノベーション投資」を手掛けていました。
このイノベーション投資という分野は、今でこそ日本でも当たり前になってきましたが、当時は全く注目されておらず、極めてマイナーな分野でした。しかし、RSIMはこのイノベーション投資にフォーカスし、優秀なファンド・マネージャーが卓越した運用成績を上げて米国の投資家から高く評価され、目覚ましい成長を遂げていたのです。
私は同社との出会いを通じて、得意とする専門分野を明確にし、ベスト・パフォーマンスを徹底追及するという米国の「運用ブティックハウス(専門店型運用会社)」の姿勢に刺激を受けるとともに、米国に大きくリードを許した日本の運用業界に対し危機感を抱きました。

日本の運用業界には変革が必要
そこにビジネスチャンスがあるはず!
例えば、日本では投資信託(ファンド)を購入する場合、証券会社や銀行などの販売会社を介して購入するのが一般的かと思います。投資信託の開発・運用を担う運用会社から直接購入することは、ほとんどありません。
そして日本の運用会社の多くは、販売会社である証券会社や銀行の子会社です。そのため運用会社は、投資家の利益よりも親会社である販売会社の意向を強く反映した商品を積極的に開発することとなり、結果として百貨店さながらに、似たような商品を大量に揃え提供する傾向があります。かつては、販売会社が顧客に投資信託の短期売買を促し手数料を稼ぐ回転売買で営利を追求する販売手法が脚光を浴び、後に金融庁が規制に乗り出したこともありました。私自身、証券会社の営業マンとして働きながら、本来長期保有されるべき投資信託が営業成果を上げるために短期売買されていることに対し、これでは投資家のために全くなっていないのではないかと感じていました。
一方、当時から米国では、影響力のある外部株主を持たず、親会社の意向に気兼ねすることもない「独立系運用会社」が主流で、圧倒的な存在感を放っていました。更に、投資家の利益を最大限に引き出すべく、長期的な運用を基本とする多くのファンドが展開され、個人投資家から広く支持されていたのです。数々のスター・ファンド・マネージャーが誕生し、まるで高級レストランのシェフのように、自身の運用スキルを発揮しながら「顔の見える運用」を行っている点も日本との大きな違いでした。
私は、こうした資産運用業界の日米の格差を目の当たりにしたことで、日本のような販売会社主導の構造では、真に投資家の期待に応える運用商品の提供は難しいと痛感しました。しかし、変革する必要があるということは、そこにビジネスチャンスがあるはずだと思い至り、「独立系運用ブティックハウス」の設立を志すようになったのです。
大企業からベンチャー企業創業者へと転身
人集めに苦戦するも、信念を貫く
私は1998年1月に、RSIMからの資金的サポートを受け、RSアセット・マネジメント(現ベイビュー・アセット・マネジメント)を設立。真っ先に提供した運用戦略は、デパート(百貨店)型の大手運用会社が当時見向きもしていなかった、RSIMによるイノベーション投資です。幸運なことに政府系金融機関や生損保、銀行など多くの機関投資家が最先端を行くファンドに興味を示してくれ、順調に運用契約資産を増やすことができました。
そして、2002年4月には自社株式をRSIMより友好的に取得(MBO)、その後社名も変更し、名実ともに独立系運用会社となりました。

一見幸先良い船出のように見えますが、苦労したのは「人材獲得」です。
なんとか野村證券時代の優秀な仲間を数名口説き、創業メンバーに加えることができたものの、その他のスタッフはどうしても人材紹介会社に頼らざるを得ません。しかし金融業界は、非常に高学歴で優秀な人材は多いのですが、大手企業志向が強く、社員同士で競争し勝ち残るための努力は惜しまない一方で、ベンチャー企業に転身するといったリスクは取らない人が圧倒的です。
当然、我々のような当時無名の企業にとって、採用は非常に不利な環境でした。せっかく採用しても求められる高水準の業務についてこられない人が多く、入れ替わりは激しいものとなりました。ベイビューは仕事がきつすぎて、人がすぐ辞めると揶揄されることもあり、ますます採用は難しくなる……その繰り返しでした。
それでも社員に求める資質、仕事のパフォーマンス水準には決して妥協しませんでした。なぜなら、もし我々が大手と同じレベルのものを提供するならば、顧客は間違いなく大手を選ぶからです。我々を選んでもらうためには、プロダクトもサービスも大手よりもレベルが高く優れていなければならない、当社で働く人は常にその高みを目指せる人でなければならない、と考えたのです。
「運用商品と社員のクオリティは絶対に妥協しない」という信念の元、我慢と試行錯誤の時代を経ながら根気強く人材の採用・育成を繰り返す中で、今日の経営陣の中核を成す下城副社長や岩田取締役といった逸材が会社の基盤を作ってくれました。しかし残念ながら、金融業界における大手志向は未だ大きくは変わらず、当社にとって優秀な人材獲得は現在も大きな課題の一つです。
――後編は、1998年に会社を設立し、現在社員数約80名、1兆円超の契約資産を有する国内最大級の独立系運用会社へと成長を遂げたその要因に迫ります。(後編へ続く)
プロフィール: 八木健:1984年、一橋大学商学部を卒業後、野村證券入社。1989年ペンシルバニア大学ウォートン・スクールにてMBAを取得し、1998年にRSアセット・マネジメントを設立。2007年に社名をベイビュー・アセット・マネジメントに変更、現在に至る。2003年(社)日本証券投資顧問業協会(現 一般社団法人 日本投資顧問業協会)理事に就任(通算9期)。2020年一橋大学資金運用管理委員会委員に就任。 |